時の話題 「尖らなくては」

 昨日だったか毎日新聞に「新聞記者はもっと尖らなくてはいけません」という投書が載っていた。もっともと我が意を得たりと思った。
 明治維新以降、徳川幕府の幕藩体制で民意を抑圧されていた日本国民の変わりようの原点は欧米列強に少しでも、早く追い付こうとする政府方針であり大正デモクラシーを生み太平洋戦争終結後は一部の資産家だけでなく平民にも、そして女性にも参政権が付与され民主主義国家として歩んできた日本。
 国家として安定しない暫くの間は猛者もおり、例えば田中角栄氏のような〝今太閤〟を輩出するなど日本社会全体にマグマに近いエネルギーがあったものだが、飛躍的な経済成長を経て世の中が安定してしまうと青雲の志を持った若者が減ってしまい、金太郎飴のような敷かれたレールに乗っかる若者が増えてきた。
 この結果、生じるのが安定志向の若者が増え必然的にどの業界でも社会を否定的でなく是認するような風土となる。新聞社などマスコミにもそのような人間が増える訳である。
 社会が成熟してくると異端の輩など必要でなくなり尖らなくても生きていけるので社会に批判的な人間はある意味、淘汰されつつあるのが現代の日本でないのか。ノンポリが増えているのだ。
 筆者はよく記者に「他人に嫌われろ」と諭す。詳しく書けば「嫌われる記事を書きなさい」という事だ。相手に不愉快だと思われる記事を書き一人前ということだ。
 加えて徒党を組むことなく孤独に思慮するのが記者の本分だ。