時の話題 「旭山動物園事件」
職員が妻に手をかけ動物の焼却炉で燃やした事件があった旭山動物園のGW期間の入場者が昨年より増えたそうな。4月29日(昭和の日)から二日遅れの5月1日から営業を始めたのに来園者が増えた理由を「事件があり動物園を応援するためでは」などとのコメントがマスコミ各社にあったが、それは違うでしょうと言いたい。
人の集団を「社会」といい、その社会を心根が優しい人達の集団とする考えにのっとった〝性善説〟での評価だが矢張り「甘いでしょ」と断じざるを得ない。確かに事件によって注目されたのは疑いのない事実にしても「応援したい」というのは深層を言い得ているとは言いがたく、例えばだが家族の中で父母が子どもに「ライオンを見に行こうね」と言って園に出掛けるのは多くの家族の行動ではあるが、「事件あって人が行かないだろうから応援しに行こう」は子ども心をくすぐるとは思うも子どもにしてみれば「あんな事件があったのだから恐くて行けない」というのが本音であろう。
大人の考えを強いるのが偽善であり、マスコミ各社は浅はかな考えの意見に同調するものでないと、一体感を嫌う筆者は思う。
テレビでも新聞でもあまつさえネット配信で事件の真相に迫るのは容易でない。どうしても皮相的にならざるを得ないとは言いながら「応援論評」には無理がある。
人という動物は社会との一体化の前に自我があり、そう易々と一体化した社会には与しない。それぞれ個性があるから人間であり、国が社会感を押し付けるのは拙い。


