時の話題 「走馬灯のように」
取材に行くと何かとネタがあった南中が荒れていた時代(昭和60年前後)に世話になった中村和一さん宅のライラックが咲き出し近所の人の目の保養になっている。
筆者も孫が5人いる爺になったが中村さんが本紙の取材に対し孫さんの芽衣ちゃんを抱く様子に月日の流れの速さを改めて実感している。
南中の校風が荒れたのは今から35、36年前で学校で取材している時に生徒がカーテンに火を点けるなど酷いものだった。当時13~15歳だった生徒は今、50歳位になっており良いパパ(当時授業ボイコットなどしていたのは男子生徒だった)になっていることだろう。
校長先生が引責辞職するなどしても収まらず当時の教頭先生(仁木先生でのちに校長)が苦労していたのを想い出す。
40年ほど、この仕事をしていると人に感謝されるばかりでなく恨みを持たれた事も間々あり「訴えてやるぞ」と凄まれた事も何度かあり自分ばかりでなく家族の身の危険を感じたこともあった。
昨日載った孫さんを抱く中村さんの写真を見て当時の事が走馬灯のように浮かんできたわけである。
読者の皆さんは西部劇で活躍した米国俳優のヘンリー・フォンダを御存知だろうか。彼は晩年「黄昏」という人生の最終盤を描いた作品に主演した。妻役も大スターのキャサリン・ヘップバーンだったと記憶している。
老夫婦が湖畔にある家の前のベンチに座りヘンリーがキャサリンの肩に腕を伸ばし、これまでの人生を振り返るシーンが脳裡に焼きついている。