時の話題 「人の死」

 市議を5期やり道議選、市長選に出馬した事がある佐藤克氏(75)の訃報を聞いた。市長選に敗れたあと横路衆議(元知事、今は政界から引退)に請われ秘書を務めていたが薬石効無く今月3日に旅立たれた。稚内に住いあるも仕事で長く札幌に居を構えていた事もあって葬儀は札幌で執り行ったという事である。
 浜頓別出身の克さんは家庭の事情などあり稚高定時制で螢雪の功を重ねられた。当時、定時制の教諭をしていた山本俊章先生(故人)から「とにかく群を抜く頭の回転だった」と聞いていたことから「どんな人かしら」と会うのを楽しみにしていたところ、ギョロっとした眼が印象的だが気さくな方で中央2にあった旧社屋の頃、よく来社し先輩記者と和やかに会話していたのを覚えている。
 稚内海峡太鼓の創設にも関わるなど人脈広く、敦賀市長が再選された平成7年の市長選に出馬したものの、関係者が見込んだほど票が集まらず敗退するという憂き目に遭い、その後、活躍の場を札幌に移したのだった。
 吉田幸麿量徳寺住職の母堂綾子さんは夫廸麿さん(先代住職)を内助の功で支え、人と接する時の笑顔が印象的な方だった。
 この数年、何かと知己のあった人が旅立たれる事が増えている。亡くなるのは人の宿命とはいえ縁のあった人を見送るのは寂しい。
 妻ともども両親はこの世に無く、妻は姉、筆者は弟に先立たれ、あれだけいた叔父・叔母も今は2人だけになった。輪廻転生とはいえ無常なものである。
 それはそれとして世にはばかる爺で在るとしますかな。

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