天北堆(2025.12.5)

 堆子も昭和41年から3年間、稚中生として旧校舎で勉学に勤しんだことがあった。その頃は1学年10クラスあり50人もの生徒が教室にぎゅうぎゅう詰めであった。今は亡き小川澄教頭先生の下駄の音が印象に残る板張り廊下であった◆78年もの歴史がある稚中が子ども達の少子化を受け2年後には小中一貫教育学校になる。世の流れなので如何ともしがたいが溜息をついてしまう◆更に私史を述べると稚内小と北小が合併し開校した中央小の第一期卒業生でもあった。幾星霜とはいえ次代の担い手に後を託す。