時の話題 「捲土重来期し」
1971年(昭和46年)「オホーツクの鉄腕」と言われた貝森好文さん(72)が過日、南ロータリークラブの例会でスピーチし、80年、81年、そして83年に甲子園にもう一歩のところ(決勝戦)で敗退した稚内大谷高野球部監督時代のことは多くを語らずも朝日新聞の2018年の囲い記事で紹介した。
その囲い記事は「北大会決勝 3度の悲運」との見出しで、いずれも1点差で涙を飲んだ前記3試合について書かれていた。
稚高のエース時代の71年には一人で再試合延長戦含め3試合(53イニング)を投げ抜き奪った三振77は今でも北北海道大会の大会記録のまま破られておらず鉄腕だった。
自らの選手時代、監督・部長時代の悲運はとりたてて語ることはなかったが、2018年に導入されたタイブレーク制(延長10回以降の攻撃は最初からランナー1・2塁にすること)▽投手の500球制限など選手の体を気遣った改革を導入している高校野球連盟(高野連)に物申す場面も少なからずあった。自分の選手時代に導入されていれば自身の野球人生も変わっただろう―との悔恨をほんのり吐露し自らも大谷高も頂点には至らなかったものの、檜舞台を踏んだ男の美学を感じたものだった。
筆者とは稚高時代の1年先輩で当時の貝森さんは見上げる存在だった。野球に例えるなら「寡黙なエース」そのものであり、例会などで会うと「先輩」と呼ばせてもらっている。
最後に21世紀枠にも「公立校が選出される傾向がある」とも語っていた。


