天北堆
週始めというのは何かとあり堆子個人としても慌しい日となる。朝餉で妻の姉と夫が何回忌を迎えるのか―とを皮切りにとりとめなく話をし会社に着くと葬儀の原稿が1枚、間もなくしてもう1枚のファックスがあった◆2件目で亡くなったのは大東食品の社長を永く務めた大菅信文氏であった。早稲田大学工学部を卒業し目から鼻へ抜けるような英知を持った方で、その慧眼に接し会社経営の厳しさを教わった◆数年前の奥さまの葬儀で二言三言会話したが、切れ味は現役時代と変わらず鋭かった。合掌。
週始めというのは何かとあり堆子個人としても慌しい日となる。朝餉で妻の姉と夫が何回忌を迎えるのか―とを皮切りにとりとめなく話をし会社に着くと葬儀の原稿が1枚、間もなくしてもう1枚のファックスがあった◆2件目で亡くなったのは大東食品の社長を永く務めた大菅信文氏であった。早稲田大学工学部を卒業し目から鼻へ抜けるような英知を持った方で、その慧眼に接し会社経営の厳しさを教わった◆数年前の奥さまの葬儀で二言三言会話したが、切れ味は現役時代と変わらず鋭かった。合掌。