時の話題 「カーリング功労者」
ロコ・ソラーレが世界予選の日本代表にならなかったのは個人的に残念だが、みどりスポーツパークで開かれていたカーリングの代表選考会はテレビや全国紙、道新で大きく報道され稚内というマチの存在意義を高めた。
老朽化したノシャップから、みどりスポーツパークが建設された時に移設し改築された最新鋭のカーリング場があるから全日本クラス大会を招致できたというのは早計で、日本カーリング協会の貝森輝幸会長なしでは開催できなかった。
この方、14年前の工藤広氏の初当選に一役買い、その後カーリング協会長就任という話を聞き本紙が取材求めるも「そんな大層な役職ではない」とやんわり断られた経緯があった。とに角、物静かで目立つことを好まず他人に対する心遣いにあふれた篤実ある人だ。
本命の継ぎ目役の会長だとも言ったが、何かと批判があった新カーリング場建設を決め実行した工藤市長を富田伸司稚内カーリング協会長らとともに支えた。経営する会社も会長として残るも息子さんに譲りカーリング協会長就任後は協会だけでなく稚内をいかにカーリングで寄与するかに腐心してきた。
工藤市長と同年輩なので75歳になるかと思われ後進に道を譲る年になったが未だ意欲十分で今やメジャーなスポーツになったカーリングに一肌どころか二肌・三肌脱ぐことお願いした。
正直、建つ前は半信半疑だったが、日本を五輪でメダルを取るほど世界の強豪国にするまでにした功績はでかいものがある。体に似合わず心配りできる人物である。


