時の話題 「不真面目のすすめ」
真面目のすすめなら分かるが、不真面目というのはどうか。読者の皆さんほとんどの考えだろう。
真面目でない生き方を奨励している訳でなく「不真面目たれ」との応援句だと理解してもらえば有難い。
勉強も仕事も真面目なのは大変良いことだが、欠点を敢えて言うなら融通性の無さであろうか。上司にでも言われた事は完璧にこなすが、言われた以上の事はせず、「何か」を求める上司との間にすきま風が生まれる。
一般的にこの状態を組織の硬直化と言うのだろう。この柔軟性の無さが真面目な人に多く公務員に多いようだが、今の公務員は国の官僚でも都道府県職員でも市町村職員も国民からのバッシングがあるせいなのか、若い時から意欲十分な人は減ってしまった。
しかも行政に一時ほどの人気はなく入っても直ぐ辞めてしまう人がいる。国も県も市も思惑から外れる。
そこに不真面目のすすめが生まれ、何の勉強でも仕事でも大してやる気がなく不真面目な人ほど絶望することなく折角勝ち得た高処遇を自ら捨て去ることとて無い。
不真面目ということは遊ぶ=余暇に通じることにもなり、遊びで得た引き出しを不真面目なりに使い何かあった時の支えとする。それが人間としての幅の広さに繋がるわけだ。
幅広く奥深さがあれば災難に対処でき、そこから生まれるのが創造性であろう。
勉強をせず仕事もちゃんとしない事を勧めてはいない。真面目だけでない柔軟さが創造性を培い何か新たなモノが生まれるのではという淡い期待である。