時の話題 「名馬テンポイント」

 9日夜の大泉洋とさんまのNHK放送の北海道旅完全版を見て名馬テンポイントの眠る墓参のシーンがあり50年前のことを思い起こした。
 上京し4年目の昭和51年のダービーを制したのは伏兵クライムカイザーで、初めて勝馬投票券を購入し何故かしら当ててしまい暫く競馬に夢中になり府中競馬場ばかりか地方の大井競馬場にも出掛けた。
 当時の人気馬と言えば「天馬」と言われたトウショウボーイ、そのボーイと熾烈な戦いを演じたテンポイント秋の菊花賞を勝ったグリーングラスとクライムの四つ巴の戦いがファンの注目を浴びたものの、〝悲運〟と称されたテンポイントは暮れの有馬記念を制した翌年の日経新春杯で骨折し1カ月以上の闘病の末死んでしまった。
 時は正に日本の高度成長期にありトウショウボーイやテンポイントなど優駿に自らの人生をダブらせ、テンポイントの悲運にも涙したもので、テンポイントへの憧れの結果、さんまさんは安平町にある吉田牧場内への墓参になったのであろう。同じ年代の筆者はその心情がよく分かる。
 競馬史上最初の三冠馬となったシンザン以来、脈々と続く競馬人気だが、コロナ禍にあっても衰えることはなく、未だに制覇していないが、フランスの凱旋門賞への日本馬出走などあり欧米の競馬と引けを取らぬほど実力を高めてきた。
 当時、新宿駅南口から甲州街道を5分ほど歩き場外馬券場で馬券を買い近くの居酒屋でビールを飲み大型テレビで実況を見て一喜一憂していたのを思い起こす。

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