時の話題 「人との邂逅」
この仕事をし40数年の間、多くの人との別離があった。亡くなった人、転勤した人を指し感傷的になる暇はないものの、ふと想い出すことがある。
出生地の紋別から始まり稚内~東京~札幌~稚内と住まいを移す中にあって邂逅の繰り返しが人生そのものだとしても別れは淋しいものである。
紋別での幼稚園時代には親が銭湯を営む男の子と材木置き場でよく遊んだ。母の生家がある稚内に戻ってからも親が自衛隊員のワタナベ君との別れには何か贈り物をし、小学生の頃に住んでいた恵比須3のタカハシさんの娘さんが親戚にもらわれ突然居なくなった事には「もらわれる」という人の世の不可思議さに溜息をついた。振り返るにその娘さんに恋心を抱いていたのだろう。
性というものに目覚めた中学・高校時代には何人かの女性を好きになり、とりわけ高校2年の時の恋愛では他人の嫉妬を味わい、その後の人間不信の一因とはなった。
肝胆相照らした稚内に来てからの友人のほとんど鬼籍に入った。画家の菱沼さん、保険屋の古川さん、麻雀仲間の山田さんの顔を想い浮かべながら他に親交した人達も想い起こし、その中の一人、表さんが教育長を辞める決意をしたというのは筆者が社長になってから忌憚なく話すことができる数少ない人だけに淋しさが募る。
本人の心のうちは数カ月前から聞いていたので「辞めて何をするのさ」などと軽口を叩くと「しばらくは骨休めしますよ」と淡々と答えていた。
戦友がまた一人去って行く。