時の話題 「東日本大震災⑴」
今更ながらだが月日が流れるのは速いもので、あの大津波が今でも脳裡に残る東日本大震災から今週11日で12年経つ。東北地方を中心に12都道府県で2万2312人もの死者・行方不明者が出た大震災で、明治以降では明治三陸地震(死者2万1915人)、関東大震災(死者・行方不明者10万5000人)に次ぐ大惨事となった。
その日の午後2時46分頃、筆者は「港のゆ」で温泉から上がり寛いでいたところ、突然巨大津波が田畑を侵食し上流に向かう光景と大津波によって船舶や石油などのタンクが木の葉のように流れ住宅街で家を車を人を津波がのみ込む様子に呆然としたのをよく覚えている。
夜になると海も陸も火の海と化し、時折鳴り響くタンクなどの爆発音に驚くというよりはこの世の出来事でない光景に言葉なく無言でテレビを見ていた。
そうこうするうちに福島第一原発が大波によって電源を失い大量の放射線が洩れ出るというメルトダウン(炉心溶融)の恐怖にただたじろぐ自分がいた。
震災2年後の13年のGW、稚内を愛する市民の会が募った被災地を見て回る視察団一行に加わり、被災地の生々しい状況を見る中、南三陸町の被災した防災庁舎前に設けられた焼香台で焼香しようとした時の犠牲者の魂が回りを浮遊しているような奇妙な感覚にとらわれ焼香できなかったのを思い起こす。
稚内に帰っても暫くはその時の感覚が蘇り悶々とした日々を過ごした。あれから12年過ぎ記憶が薄れようとする中、天災は何処でも起こり得ること肝に銘じている。 (続く)