時の話題 「隙間の日」
5月下旬の小欄に「ラブレターの日」(5月23日)についてタイトル通り無聊のままに書いたところ、筆者より20歳ほど年輩の方からハガキを戴いた。
70年前の高校時代、友人が列車通学していた女性に恋焦がれ、同じく列車通学していた私にポスト役を頼み1週間に1度、ラブレターを渡していた。卒業と同時に友人と音信不通となり、きっと人頼みでなく本当のポストで送ったのでしょう。新聞を拝読し遥か昔の事を思い出しました
若い頃の恋心というのは盲腸のようなものでして恐らく、その友人は高校卒業と同時にラブレターの送り先である女性のことなど忘れ、別の盲腸のような恋心に突き進んでいったことでしょう。
何やかにやあり結婚し子を授かり、その成長を見守りながら幾星霜が過ぎ、その子らが伴侶に恵まれ子をつくり、めっきり白髪が増えてきた老夫婦は孫の誕生を喜び慈しむ。これまで家族が数百年も紡いできた歴史を繰り返す。
人間の一生は限られており遅かれ早かれ旅立たねばならない。無常というより短い一生を懸命に生きなければならない人間というのは何なのか。途中の愛し合ったり慈しみ合ったり憎しみ合ったりしたことが最期の瞬間、走馬灯のように浮んでくるというのは勝手に思う嘘事に近いことであり、最期の刹那も「死にたくない」と心中叫び旅立つのだろう。
淡い恋心など極めて一時の出来事であり殺伐とした人生を歩む中で家族の契りを都度考え、その後忘却したかのように独り善がりになり目をつぶるのであろう。