おにぎりとキャラメル
終戦の日の8月15日が近付くと思い出すことがある。私の家の北側が幅2㍍ほどの道路になっており、その道をジグザグに山肌を登って行くと日本軍の兵食があった。
私が5歳になった昭和20年7月、一般市民は入ることさえ出来ないこの道を幼い好奇心だけで登って行くと頂上付近に人の姿が見え慌てて隠れたが兵隊さんに見付かってしまった。逃げようとしたが大きな声で「ボク逃げないで、そこで待っていなさい」と言う。
暫く待つと大きな白米のおにぎりと、フルヤのキャラメル3個を持ってきてくれた。毎日、芋とカボチャを食べるのがやっとだったし、菓子と言えば粘土の入った乾パンしか知らない。夢のような気持ちで家に帰り、母と兄と妹と4人で食べた(父は徴用で留守だった)。
母の話「その兵隊さん、お前と同じ位の子供をクニに残してきてるのかもね」
後年、父に聞いたのだが、この山上に守備隊として駐留していたのはアリューシャン列島のキスカ島からの撤退部隊だった。
この話には後日譚がある。そのことがあってから2、3日後、小学1年だった兄が近所の仲間数人と「夢よもう一度」と登って行った。ところが歩哨の兵が別人だったらしく恐ろしい声で怒鳴られ一目散に逃げ帰ったという。
後年、40歳を過ぎた頃、仕事現場で兄が打ち明けたものである。
「もう時効だから言うが、あのときはこっぱずかしくて言えなくてよォ」
(本紙契約社員東海林英機)