時の話題 「盛者必衰の理」
昨日は「ボウリングの日」であった。50年以上前、あれだけ流行ったボウリングだが、今は東京、札幌などに残るだけで、テレビ中継(録画含め)も1週間に一度見れるかまで廃れてしまった。
筆者が中学1年生だった昭和42年(1967年)頃、稚内市内でも爆発的なブームが起き、一時ボウリング場が4カ所もあった。その後、ブームが終わると共に4つとも廃業していまい、その跡にスーパー(今はパチンコ店)や家具店などに代わり、一時、名寄の業者が進出してきたが、結局、採算取れず撤退してしまった。
流行り廃りあろうともボウリングほど浮き沈みが激しいスポーツというのか遊びはないのでなかろうか。
夜のマチだってそうである。沖底漁の最盛期、仲通り(中央2~3丁目)は人の肩がぶつかるほど人出がありほとんど下戸に近かった筆者の父親も当時、神社下にあった「クラブ7(セブン)」のマッチを持っていたほどで、店と酔客がひしめいていた。
仲通りから外れても弁天仲見世など飲み屋街が数カ所あり何処も繁盛していたが、住宅街が南、東地区に移るのと沖底業界の衰退などにより仲通りの客足は減り19年前の稚内大火が止めを刺した。
代わって夜のマチの主役になった大黒2のオレンジ通りだが、コロナによって辛酸を嘗め塗炭の苦しみに喘いでいる。
平家物語に「娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」とある。どんなに栄えてもその勢いは衰えていくものだという人の世の理をボウリングの日にあって銘記した。