人物点描 公の精神、大切に 建設協会長退いた藤田幸洋氏
平成17年から16年間稚内建設協会長を務め先の総会で退任した藤田幸洋氏(66)=藤建設会長=が10日午後、稚内プレス社の取材に答え「会長職を8期務めてこれたのは会員はじめ関係者が支えてくれたからであり改めて感謝申し上げます」と謝意を表した。
藤田氏が7代会長に就任したのは2005年(平成17年)の小泉内閣の時で、新自由主義の旗印のもと公共事業、とりわけ港湾事業が減少し、その後、09の民主党政権によって更に削減され業界にとって〝冬の時代〟であった。
その真っ只中に宗谷管内の建設業者を束ねる稚内建設協会の会長に就いた藤田氏は仕事量確保に努めると共にサハリン州政府などと6代会長の石塚宗博氏(石塚建設興業会長)の時代に創設した日ロ合弁会社「ワッコル」を通しサ州への進出を模索した。
藤田氏はインタビューで「ワッコルで儲けようなどとは考えず稚内協会として情報発信の一つの道具として取り組んだ」とした。道北にある建設協会として何が出来るかに悩んだ末のサ州への積極的関与だった。
公共事業縮減によって傘下企業の体力が落ち職員を採用できなかった時代があり、結果、担い手不足に陥っているが、雇用を守るよう努めてきたのも事実だとした。
2年前の令和元年に会長職を辞する覚悟をしていたが慰留され辞意を撤回したことに関しては「長くやるとマンネリ化する。それが恐かった」と述べた。
会長は退いたが国や道に対し「業界に先行投資できるよう夢を持たせる施策をお願いしたい」と注文も付けていた。
協会も会社(藤建設)も「至誠」など〝五省〟を持って運営し経営に当たってきたとし「協会は勿論、会社も私物でなく公けのものとの精神で歩んできた」ことを強調していた。