時の話題 「予測つかぬ人生」
暴風雪一過の昨17日、久しぶりに会社から郵便局まで歩いた帰り道市立病院の駐車場に珍しく空きがあるので病院中の売店に寄り待合室に行くと閑散としていた。
昨年の今頃、コロナの感染拡大が報じられそれ以来、市立病院への途中寄りは控えるようにしていたものの、暴風雪明けは通院患者は少ないだろうとの予想もあり寄ったのだが余りにも人がおらず当てが外れてしまった。
市病に寄るのは知合いに会い世間話をすることで情報を得るためなのだが、見事空振りしてしまった。それでもマスクをし判然としなかったが入院している知合いがおり、先日銀行の前でお会いした時は元気そうだったのに「どうしたのか」と心配している。
我々の商売だけでなく、ほとんどの仕事は人に会って話をしてなんぼの世の中だが、コロナによって人に会うのを自粛し、極めつけは夜、集団で飲み食いするのを規制されてしまうのだから左党の方々は堪ったものでなかろう。
個人的には社長になって此の方、〝深窓の爺〟と化し、人に会い情報を収集する機会がめっきり減ってしまった。それに輪を掛けたのがコロナである。
この一年、市内の行事がことごとく中止になり小紙記者も記事集めは大変だったろう。いわんや他の仕事に就く人達の大変さ・辛さも想像がつく。
人間万事塞翁が馬とすれば、コロナ禍もしたりと言うところだが、人というのは今の苦境に拘泥してしまい、先読みが出来なくなるようである。人生は予測つかぬからこそ面白いのだがね。