時の話題 「ひきこもり」
29日夜のひきこもりをテーマにしたNHK特集を視聴し痛切に感じたのは、人知れず亡くなった後の身内の嘆きと共に生前の状況(ひきこもり)を知っていたにも拘らず放って置いたという悔恨の情であった。
悔しさは誰でも持つものだが、ひきこもりを知りながら何もせずうっちゃって置いたという罪の意識が悔恨を増幅してしまい居た堪れないほどにする。
永年、ひきこもった末に兄を亡くしてしまったタクシー運転手の弟さんがごみ屋敷となった兄の住いを片付けながら遺品を頼りに生前お世話になっていた福祉関係者を尋ね話を聞く件での何とも言えない弟さんの寂しげな目に悔恨の情を強く感じた。
人には子ども頃から様々な試練が待ち受けており、何かが端緒となってひきこもるというケースがある。そのほとんどが仕事含め社会に適合できず逃げた結果で、世間では「弱いからで自業自得だ」と評するが、それって正しいのか。強く生きるだけが人間としてのあり様ではなかろう。
コロナ禍によって失職し収入が激減する中、何とかして立て直そうとするのが社会性を備えた人間のやることなのだろうが、一方、抵抗力がひ弱な人にとって厳しい世の中に対処するのは苦痛しかなくエスケープするしか己が助かる道は無く選択肢の一つとしてひきこもりが生まれる。
子どもの頃、あれほど屈託なく明るかった息子(娘)がどうしてひきこもりに。苦悩する親御さんらが居るようだが、昔でなく今の彼・彼女を見るのが親としての務めとして大事なのではと思う。