時の話題 「2万号近づく」
2週間後の今月18日本紙は2万号に到達する。今年が創刊70周年に当たるので70年の歳月を要した事になる。
本紙は昭和25年、旧樺太で「公憤」という新聞を発行し戦後引き揚げて来た前田彰氏が当時の大浦漁業、高林百貨店、宗谷木材、瀬戸漁業、坂本建設が株主となり創刊し、当初は1週間に一度くらい発行する不定期紙であったが、3年ほど経ち週に6日発行する現在の状況になった。
前田翁の「天北堆」は辛口で市を痛烈に批判するものだから浜森市長ら市幹部には毛嫌いされたものだが、1カ月50円という安価な購読料だったこともあり部数を伸ばし、一時は1万部を超えるほどになった。
市井に住む人々に寄り添った紙面構成は好感を持たれたようで、市ばかりでなく往時の経済界にも何かあった際には「ハチの一刺し」ならぬ遠慮無く書くものだから対峙するという場面があったものであった。
山椒は小粒でもぴりりと辛いをモットーに社外役員から紙面拡大・増頁の要望を頑なに拒否し、創刊以来タブロイド判での発行を維持している。
筆者が係わっているのは歴史の半分でしかないものの、批判精神というのか市井の人達に寄り添う姿勢に変わりないとの矜恃のもとこれからも歩んで行きたいと思っている。
5万8千人あった人口は3万3千人まで減り経済活動も縮小する中にあって稚内を離れた人向けに電子版(無料)を配信しHPもあるので紙媒体だけでない利用をしてもらえばと願っている。
読者の皆さんには感謝するばかりです。