時の話題 「変わる沖合漁業」
挨拶した風無稚内機船漁協組合長も言っていたが、一口に2500日と言っても7年近くにも及ぶことであり称賛に値する。稚内港船籍の沖合底曳き網漁船の死亡ゼロ継続日数のことである。
記者が手薄なこともあり取材活動の一部に復帰する中、先週金曜日、全日海道北支部主催し開かれた稚内地区漁船組合員大会での一こまで、写真を撮りに会場前方に行き出席している漁船員が若いのにも驚いてしまった。
無事故操業、若い漁船員と時代が変わっていくことに、ある意味カルチャーショックのような感慨を抱いたものだった。
沖合底曳き網漁全盛時、稚内港基地の沖底船は60隻以上もあり港内が狭く感じるほど漁船がひしめき、岸壁では水揚げされた魚を運ぶトラックが輻輳し、漁船転覆の全損海難も珍しいことではなかった。まさに板子一枚下は地獄を地で行った水産華かりし頃だった。
それが旧ソ連の200海里施行以降の減船によって昭和後半には20隻前後まで減り平成の30年間でも一隻ずつ姿を消し、とうとう稚内港の沖底船は6隻まで減ってしまった。
10分の1まで減ってしまったが、これだけ事故なく操業を続けているのは全日海や振興局などの監督・指導はあるものの、結局は悪天候時の出漁回避など機船漁協、船主の方針あろうし、船員の安全操業意識が高揚してきているためなのは疑いのないことだ。
組合も船主も船員も獲るだけ獲る時代から安定し漁獲でき箱詰めなど幾らかでも付加価値ができる戦略に努力している。沖合漁業も変わったものだ。