時の話題 「遅咲きの力士」

 稀勢の里の引退から始まり波乱の大相撲初場所は伏兵玉鷲が天皇賜杯を手にした。34歳という史上2番目に年長の優勝だった。
 稀勢関の引退が呼び水になったのか荒れに荒れた初場所は賜杯が目の前にあった白鵬が10連勝したあと、よもやの3連敗を喫し休場にまで追い込まれた。
 横綱鶴竜、大関栃ノ心は早々と休場し、豪栄道、高安の両大関も腑甲斐無い戦績の場所を盛り上げたのは先場所優勝した貴景勝であった。千秋楽結びの一番で豪関の一気に押しに完敗し大関は逃がしたものの、今の相撲を続ければ3月の大阪場所は一度は去った大関という番付も再び呼び戻せることだろう。
 玉鷲関が角界に入門したのは19歳。モンゴルの大学でホテル学を学んでいたが、当時お姉さんが東大に留学していたことから日本観光に出掛け、ひょんなことから大相撲界に入ったという変わり種の力士である。
 勝利しインタビューを受けた際の笑顔が印象的な反面、突き押し一手の攻め相撲は勝負に対する一途さを窺わせる。2場所連続し優勝戦線におれば大関の声も出るだろうが、玉関の場合、上位番付というよりケガなく今の連続出場記録を続けてほしいものだ。
 40年ほど前、中央競馬にアイフルという古豪馬がいた。4歳(今は3歳)からのダービーなどクラシック戦線には出走することは叶わなかった馬だったが5歳後半から頭角を現し天皇賞を取るほどの一流馬になった。無事これ名馬の典型だ。
 玉関にアイフルが重ね合せ見えるのは妄想であろうか。長く取ること念頭に大願も…。

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