時の話題 「稀勢関引退」
無理したであろう。横綱になり一場所目こそケガを押しての出場で優勝したものの、それ以降は横綱として不名誉記録を作りっ放しの稀勢の里が本割で3連敗し引退した。
横綱になり約2年間不本意な成績しか残せなかったことでは悔しい思いをしていただろうし、応援してくれるファンのためにも横綱らしい成績をと踠いた末での断腸な思いの決断。会見で「相撲人生に一片の悔いもない」と述べていたが、本心を語っていたのか。悔しくて悔しくて夜も眠れない日々が続いていたのであるまいか。
非情な勝負の世界に身を置くものとして何としてでも再起したい、いや再起しなければならないというのが本音で「一片の悔いもない」というのは本心でなかろう。
引退した以上は年寄として後進の育成に携わり、いずれ部屋を継承するか独立することになろう。土俵上の勝負は終わったが、土俵下の勝負はもう始まっている。
稀勢関は不本意だった横綱の2年間を糧にしなければならない。大方が潔く引退するのに横綱の地位にしがみつくというのでなく復活し目にもの見せてやるという負けん気は恐らく弟子の育成にも助けとなろう。勝負は心が折れた者が敗者となるからである。
何だかんだと御託を並べたが、稀勢関がいない大相撲など今はどうでもいいという気持ちだが、若い力士が台頭してきており、この50年来のテレビ桟敷での観戦の日課に変わりはなかろう。
一つの時代が終われば新たな時代が来る。角界にも新たな時代が来たということだ。