時の話題 「本能寺の変」
昨21日は二十四節気の夏至であり父の日でもあった。稚内では日中の時間が国内で一番長いこともあり白夜祭ビアガーデンが開催されるも雨が降り気温が低く天候不順のため折角のイベントの興が削がれ、父の日は「そんな日あったの?」かのような扱いを受けたお父さん方も少なくなかったであろう。
ただし今時のお父さんは〝育休〟を取り子育てに熱心なこともあり他の世代のような扱いを受けないようで、時代の変化を感じ取っている。
歴史上、関ケ原の戦いと同様、重大事とされる本能寺の変も6月21日に起きている。実際には1582年(大正10年)の6月2日にあったのだが、旧暦なので今の日付に修正すると21日になる訳であり「天下布武」を旗印に全国統一を目指していた織田信長が家臣の明智光秀の謀反により死去し、その後、中国大返しの豊臣秀吉との山崎の合戦で敗れた明智は戦場から逃げ延びる途中に殺されてしまった。秀吉が覇者の道を進み天下を取るも秀吉没後の関ヶ原の戦いで徳川家康が実権を握り幕府を開き淀君と息子秀頼は2度に亘った大阪の陣で敗れ自害してしまった。
本能寺の変で逆賊となった光秀は元々は足利幕府最後の征夷大将君足利義昭の家来で信長に才覚を見込まれ織田家の重臣になったものの、信長とは一線を画し謀反に至ったのではとの仮設がある。
秀頼を淀君の息子と称したのは数十人の側女がいながら一人として子が授からなかったので秀吉の実子ではなかったのではとの通説を根拠に書き留めたものであることを断る。


