時の話題 「暮らす所でない」
連休中、出札してきた。墓参と孫に会うためオホーツク海側に出掛けること多いものの道央は五年以上行ってなかった。余暇を楽しむのにたまにはいいが住む所でないこと改めて思った。
田舎町に比べ大都会は刺激的だ。モノやサービスが豊富でコンサートや競技など味わうことができる。でもお金が無ければ楽しむことが出来ず、現に連休中の散財は少額ではなかった。
都会に比べ田舎はつまらないこと甚だしくエスケープ(脱出)する若者の心情はよく分かる。筆者自身もそうだった。
アリとキリギリスのエピソードが端的に物語る。何を考えることでなく享楽に耽るキリギリスに対し、毎日せっせとエサ運びなどして働くアリの立場が程無くして変わってしまう。宴のあとの虚しさはよくある話で、人生での絶頂期も知れたもので精々10年か。その時に何を考え何をするかで先が変わる。
有為転変は人の世のならいである。絶頂時だからと散財しまくるとキリギリスのようになる。アリのように真面目に働いていると結果が付いてくる。晩年になるほど差がつく訳である。
例によって禅問答ようになったが、何が言いたいのかというと都会に憧れるのは一時いいが、稚内を離れても戻って来ればいい。Uターンの薦めである。
SNSの発達によって都会への憧れは漠然としたものから可視化でき体現できる時代になった。が、世の中そんなに甘いものでなく地に足を着けた実現可能な選択をするのがベターである。都会は暮らす所でない。


