時の話題 「みなとまつり考」

 8月になった。鼻の先では、みなと南極まつりがあり、6日には広島の原爆の日、9日は長崎原爆の日、そして15日には終戦の日を迎える。
 みなと南極まつりは沖底漁華やかりしき昭和38年から始まり今年62年目を迎える。8期32年もの間、稚内市長を務めた浜森辰雄市政の時代から始まり沖底漁業の元締である稚内機船漁協組合長の瀬戸常蔵氏と二人で稚内の水産業を全国に知らしめ、南極越冬基地でのタロとジロの生存を取ってつけたように命名し始めてから歴史を重ねてきた。
 当市出身の歌手畠山みどりさんの歌声に合わせた南極踊りの華やかさは稚内の勢いを示すもので活発に活動していた町内会こぞって数十人にも及ぶ梯団で踊り手を出し競っていた光景を思い出す。
 旧ソ連2百カイリ前のことで昭和52年、同62年の減船もあり今では5隻まで減った沖底業界に往時の面影はないが、この祭りがその歴史を伝え今に至る。
 踊りも南極おどり一辺倒から「てっぺんおどり」など加え、時代に合わせた催しにしている。人は変われど稚内の歴史が受け継がれている。
 人口も往時の半分くらいまで減り祭りを開催するのも大変だが、事業所や市民、そして何よりも稚内市、商工会議所、観光物産協会に加え他官庁の協力もあって運営されているのは喜ばしいことだが市勢が減退する中、今後の開催のあり方を検討する時期には来ているのは確かだろう。
 次代を担う人達は進取の精神でマチのあり方を考え変えて行かなければならない。みなとまつりもである。