週末雑感
お盆と終戦月の8月が終わる。日本だけで数百万人という犠牲者を出した太平洋戦争は沖縄のあと本土決戦も辞さなかった日本だが広島、長崎への原爆投下で終戦を受入れた。
銃後の婦女子らも亡くなった人が多数おり満州や樺太からの引き揚げ者の苦労たるや筆舌に尽し難い。稚内にも樺太引き揚げ者がおり辛苦を舐め爪に火を灯すかのような耐乏生活を強いられたことであろう。
その頃は日本海側のニシン群来は未だあり定置網漁で働く人達をどれほど助けた事か。昭和29年、ニシンは忽然と姿を消したが、港町の稚内周辺の海にはタラやホッケ、タラバガニなど魚介が無尽蔵にあり沖合底曳網漁の隆盛期を迎えた。瀬戸漁業の八〇船団の雄姿は圧巻であった。
その後、200㌋など経て沖底漁は凋落し観光と公共工事が街を支え、今も続いているが、人口減少に歯止め掛からず、最北の街の悲哀に溜息しかない。
浜森市長がぶち上げた10万人構想は何処に3万人を切ろうかという塗炭の苦しみに成す術ないのか。漁業と観光、インフラ工事に望みを託し、中国の責め苦にあいながらホタテ漁に勤しみ、宗谷丘陵には風車が群れなす。
経済構造的には3万人ほどの市民が暮らすのに障害はさほど無いが、将来を支える子ども達が減り猶且つ進学を機に稚内を離れ、その後Uターンしない人口面でのジリ貧状況に対しては手段を講じなくてはならない。
工藤市長の今任期は残り2年半。抜本的対策打たなければ、ただの田舎町になってしまうという憂慮から解き放されないでいる。