時の話題 「週の始めに」

 豪雨と猛暑に祟られた7月が終わろうとしている。パリで開幕した五輪に一喜一憂する此の頃だが被害に遭った地域に住む人達はそれどころでなかろう。
 高齢者にとって大相撲は生活の一部のようなものであり、横綱照ノ富士の修羅場を潜り抜けてきた末のどっしり感には勢いのあった隆の勝も通用しなかったが、優勝決定戦では横綱を土俵際まで追い込んだ時に引けば勝機があったやも知れぬ。勝負には綾がつきものなのだろう。
 五輪柔道の阿部詩選手の敗退は相手に天運があり実際優勝した。負けたあと暫く号泣していた詩選手は「何故まさか」の感情ばかりか、この3年間の厳しい練習とプレッシャーの日々が走馬灯のように浮かんできたのであろう。敢えて敗因をあげるとすれば、「油断」は陳腐だし、「驕り」じゃ在り来たりだし、結局は天が味方せず、天命は「(五輪に勝つことでなく)ほかにありますよ」との啓示なのか。
 詩さんが敗れたあと兄の一二三選手の試合を全て見たが、強烈なライバルがおり切磋琢磨し技術も心も鍛錬し五輪連覇という金字塔を打ち立てることができたのであろう。
 五輪日本代表の苦悶に触れるたび思うのは人生は生易しくないということだ。快哉しようとする刹那、まるでいかさまの如く賽が翻ることがある。善かれと思いやってきたことが突如として悪しき事に変わる。幾ら七転八倒したって人は収まる所に収まる。
 竜馬だって躓くことがあるのだから我々市井の人間が有頂天になったり後悔するのは当り前のことなのだ。