時の話題 「一代市民」

 東部物産(本社・東京)稚内工場長、稚内東部社長として40年以上、稚内の水産加工に確固たる足跡を残した仲村房次郎さんと当時働いていた従業員の皆さんの昼食交流会が21日開かれ臨場した。
 稚内プレス社としての対処あるも個人的にも薫陶を受けた仲村さんが事業から身を退いた今でも稚内に何かと縁がある活動の一端を記事だけでない人間像を幾らかでも知ってもらえばと小一時間ほど臨場した。
 人となりを筆者なりに申せば「人たらし」こう書けばお叱りを受けそうだが基本的に私欲がない方だ。常に一生懸命で当時の現場で「魚の下処理もできないのに偉そうな事ばかり言って」と従業員の一人に食ってかかられたことあるも、東京時代に習ったスケソの骨抜きを難なくやり、その後、働いている女性従業員の態度が変わったという。
 「サケは神様で頭が上がりません」と言っていたが、その背影にはシロザケで大儲けした東部の事情があり、その一端として筆者が記者現役時代、定置網漁の初水揚げを取材しようと抜海漁港で船を待っていたところ、仲村社長が缶コーヒー1箱ずつ船の関係者に配っているのを目撃したことがあり、戦後、旧樺太からの帰国で下船した幼き頃の大鵬の「今の私があるのは稚内があったから」との言葉から後になって大鵬上陸の碑を建立し、孫の王鵬を招いた激励会を私費で主催したのと通じるものがある。
 工藤市長からの「一代市民」称号は仲村さんにとってステータスであり最期まで稚内市民として生きるんだという覚悟を感じた。