週末雑感

 旧統一教会の献金に最高裁は高裁に差し戻す判決を出した。高齢の献金者が署名した「返金などの裁判は起こさない」との念書を非とし被害者救済の道を開いた画期的な判断をした。
 2年前に安倍晋三総理が凶弾に倒れ帰らぬ人となって以降、旧統一教会への信者の高額寄付など白日にさらけ出され被害者らによる解散請求が出される中、今般の最高裁の決定は信教の自由などあろうと教団の解散が現実味を帯びてくるだろう。
 信教心なく自らの思うままに生きて来た筆者にすれば数千万、億単位の献金は馬鹿げていると言いたいが、オウム真理教(今はアレフ)を信じた人がいたよう人間の信教心は他人には推し量れない。
 仏教やキリスト教など数多ある宗教の魔力を論じも詮ないことだが、信心は人間の心の奥底から生まれるものなので、端からは異常に見えても当人にとっては至って平常であり異常と見る人こそ異常なのだと言い張る。
 同じ考えの人間がこの世にいないと断じるほど人の心は百面相である。例えば政治家が善政をしても批判する人はいる。今、大衆に迎合するポピュリズムなる言葉が大手を振っている。日本の政治はそれほどではないが、諸外国、とりわけ西欧諸国ではポピュリズムに根を発した政党が国を左右しており移民拒否など訴える絶対保守主義によって統制が取れない国が出ている。
 極端な排他主義がない米国だって〝もしトラ〟が現実味を帯び、日本だって国民格差の拡大によって極端なポピュリズム政党が台頭する可能性もある。