時の話題 「行き当りばったり」

 振り返るに改めてだが行き当りばったりの人生だったとつくづく思う。さほど深く考えず思うがままに生きてきた人生を反省すること然り。何の因果か新聞社に入り偉そうに書かせてもらっているが「天職か」と問われれば答えに窮し判然としない。確固たる指針を有しやってこなかったことが判然としない答えにあぶり出される。
 幼少期、青春期に志有し己が道の階段を上がって行こうとする率は少数でだいたいの人達は成り行きで職に就き人生を歩んで行く。推量するに川面の葦のようふうらふらでないのか。
 中国や韓国、フランスなどのよう超難関の学校に入学するとほぼ将来が決まってしまうなどというのは人間の伸びしろを否定するもので、大人になってから存在力を発揮し化ける人もいる。
 裕福な家庭に生まれ東大など名門校に入り卒業し官僚になり、はたまた一流企業で終焉を迎えるという敷かれたレールを進むのはつまらない。
 信長、秀吉が跋扈した戦国時代→徳川幕府時代→明治・大正時代そして終戦後の昭和・平成・令和の時代を考察するにつけ傑出した人物が登場しようが、その人物の行き当りばったり感は拭えない。
 日本国中、市町村長知事がおり住民が安寧に暮らせるよう知恵を絞っているが、敷設されたレールを歩んで来た一部エリート層の硬直化したマチ・国づくりが限界に差し掛かっているのが今の社会なのであるまいか。
 今の若い人には卑下することなく果敢に将来の夢に向かい挑戦していってほしい。後戻りできないのだから。