時の話題 「恋文の日」
明23日は語呂合わせなのだろう。恋文の日なのだそうだ。以前は意中の人にラブレターを書く人がいた筈だが今は携帯のショートメールなどで事足りる味気ない世の中になった。
筆者個人としては女性に告白する恋文は書いたことがなく、破綻した後に復縁を迫る内容のものは書いた経験がある。20代までの事である。妻には?それは内緒である。
NHKの大河ドラマで「源氏物語」を上梓した紫式部を主人公にした「光る君へ」が放送されている。その中でかな文字草書体の麗しいこと。男性→女性へ、女性→男性への恋文も場面々々であり、1千年以上前のこととはいえ昔も今も何ら変わらぬ恋愛模様を見るにつけ、男女の恋は今もって普遍なものとの感慨に至る。
多感な青春時代を過ぎ社会性を培う階段を登り辿り着いた先にあるのは▽結婚した人はこどもをつくり▽独身の人は自由にするとはいえ今は年取った自分がいる。アリとキリギリスの話ではないが、忍耐続けた人は何らかの実を授けられ自由気ままに過ごした人には何の実も得られない―ということがよくあり、自業自得とはいえ世の中の非情さを窺うことができる。
パスカル曰く「人間は考える葦」だと言い水の流れに身を任せながら「そうじゃなくアッチだろう」「コッチだろう」と踠く。
失われた30年を体現した日本は今、トヨタなど大企業が空前の利益を生み、これまでない賃上げをしている。良し悪しは別にし他力本願的な社会を見るにつけ変化に対処できるかというと?だ。