時の話題 「新聞週間」

 今月6日から春の新聞週間が始まった。この地で創刊してから74年。社会の木鐸としての役割を果たしてきたのかと自問する毎日である。
 旧樺太(サハリン)で「公憤」という新聞を発行していた前田彰が引き揚げて来てから立ち上げた本紙は、当時、資産家の漁業会社などの支援を得て創刊した。底曳き網漁が全盛と200㌋、第二次減船、国鉄民営化に伴う広域異動など稚内の節目節目に報道で携わり、稚内の変遷をつぶさに見てきた。
 初代市長の西岡斌氏の後の浜森辰雄氏が北方圏に開かれ道北の冠たる都市として発展させ8期32年の間、市長を務めた。全国市町会の会長に就任し往時隆盛を極め、全国底曳き網漁業界のトップに就いた瀬戸常蔵氏と共に日ソ漁業交渉に日本側代表としてモスクワに赴いたこともあり、稚内発展の礎を築いたものだった。
 その稚内も底曳き網業界の衰退によりピーク時に5万8千人台まで増えた人口が、今では3万人まで減り少子・高齢化によって人手が足りなくなり苦しい経営を余儀なくされているのは承知のとおりである。
 SNSの発展により新聞各社は部数を大幅に減らし、地方紙廃刊道新などブロック紙、全国紙も次々と夕刊を止めるなど減量経営せざるを得ない状況になっている。
 その意味合いから新聞の果たす役割が国民の間で小さくなっているようだが、現場取材を経て製作される新聞の価値は逆に高まっていると信じている。
 小紙も75周年、100周年向け精進せねばと心に刻んでいる。