時の話題 「本音と建前」
5年ほど前までは本音主義に近い生き方をしてきたが、余す年月が少なくなってきたためなのか、建前と使い分けるようになった。
人としてズルくなったのか成長したのか判別できぬもまっしぐらで無くなったのは確かなようだ。
40年以上この商売をやっているということの始まりはモノ書きに憧れたからであり、何編か私小説風な作品を書いたことがあった。東京に住んでいた時分には小説家を目指すために職を転々とするなか、一日で辞めた所もあった。モノを書く肥やしにしようと漠然とだが考えた行動ではあった。
ほぼ10年間居た東京を離れたのは故郷を恋しがったからでなく、現実、半年足らずだったものの札幌に居を構えた。それから縁があり稚内に戻りプレスにお世話になり幾星霜送ってきたわけである。
若い時は視野が狭く真っ直ぐな気性もありよく人と衝突した。それでも気の合う人は何人かいた。
昨12日商工会議所までアーケード街を通り歩いていると、長い間バス通り沿いで無電柱化工事に従事していた人達の笑い声が聞こえてきた。陽光に誘われた訳でもなかろうが、工事が間もなく終わる事を知る縁となった。アーケード街の先では以前あいざわ食料品店が入っていたビルの解体に向け足場が組まれ、郵便局に向け左折すると先月焼失した飲食店の解体工事が終わっていた。
「本音と建前」と青臭い事など言っている暇なく現実は進む。変な感傷なんて何の役にも立たないと思うも、この感情が意外と新聞作りに役立つ。