時の話題 「移木の信」

 捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものだが、逆に拾う神あらば捨てる神あるも人生にはある。くよくよすることはないということだが、人によっては楽天的に構えれる人もいれば「そんな悠長な事は言ってられない」とばかりに焦る人もいる。人生さまざまである。
 一次内閣に続き二次改造内閣も政務三役の不祥事退任が続く岸田総理だが、20%かすかすの支持率には頭を抱え、結局、総理の専決事項の衆院解散できず新年を迎えそう、いや迎えるのは間違いなさそうである。
 立板に水の弁舌のなめらかさはなく、官僚の作った答弁書以外の機会での朴訥さには聞いている国民でさえ「大丈夫かいな」との思いにさせる。
 詐欺師のよう次から次へと相手が好む言葉を並びたてる人間よりは個人的に信用しているが、どうも話し言葉だけでない混乱ぶりを呈してしまっている。
 防衛予算のための増税―と舌の根の乾かぬうちの減税方針に至っては二枚舌でないのかとの疑念も生まれる。
 東大受験に数度失敗し早稲田大に入ったという過去の蹉跌が頭の隅にあるかのような煮え切らなさを見る時、総理の器に非ずとの声も聞こえてくる。
 翻って稚内の工藤市長はどうなのか。自信と安定の4期目を迎え裏表ない川野副市長を続投させ、同じ北大出身の佐伯氏を教育長にし盤石の体制を整え集大成にしようとしている。カーリング場をつくり市庁舎建設もやり遂げようとしているが、市民の暮らし向きが良くなったとの話は寡聞にして聞かない。移木の信なる事願う。

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