時の話題 「100周年余話」

 旭川以北の道北の名門校として多くの人材を輩出している稚高が創立100周年を迎え先週4日には記念式と祝賀会が開催されたが筆者が卒業した昭和48年の第25期同期会も前日3日に開かれ、未だ
々々壮健の67人が出席し一次会・二次会と掛け替えのない一時を過ごした。
 だいたいが歳相応の容姿だったものの、中には歳より老けている人・いない人、69歳という歳を単純にくくれない人いたが、その後50年の人生をダブらせながら今この時、そして50年前にあった日に還っていた。
 個人的な事なので恐縮するが、当時恋焦がれて修学旅行先の京都界隈を二人で散策した旧姓Nさんも出席しており挨拶するとNさんも覚えており、それだけでも同期会に出席した意味があったものと思っている。
 それはそれとして卒業後の50年の間には様々な艱難辛苦があっただろう。8年前にも同期会を催したそうだがその後の8年間は仕事のこと、家庭のこと、健康のことなど、それまでの60年とは状況を新たにする苦悶に泣かされ押し潰されたこともあったろう。でもその日だけは18歳のままであり、仲間としての連帯を薄かろうが濃かろうが確かめあったに相違なかろう。
 一部の出席者に「同期会は今回が最後でしょうね」と言う人がいたようだが、あと何年生きられるか知らねど喜寿77歳のお祝いを兼ね開催したいものと個人的には願っている。
 100周年に当って同窓の集まりが他にもあったやに聞く。今どうあるかなどは些少な事で、皆あの日に戻ったことであろう。