時の話題 「記憶に残る人」

 先日亡くなった加地隆夫さんと面識を得たのは「ひまわり事件」だった。当時、パチンコ店ひまわりを全道展開する合田観光商事(本社・札幌)が稚内に進出しようと店舗を建て、あとは道公安委員会の営業許可を待つだけの段階で突如、宗谷支庁(現宗谷総合振興局)に提出されたのが㈳稚内木馬館による児童遊園設置申請であった。
 この遊園は戦後、遊び場がない子ども達のため国が設置したものだが、昭和46年以降は1カ所も設けられず、木馬館の児童遊園申請は20数年ぶりのことだった。
 遊園が認可されると周囲100㍍以内には風俗営業法によりパチンコ店などは出店できず、合田側と地元パチンコ店が鍔迫り合いを演じる中、地元店の意向を受けた木馬館が申請したもので、最終的には「ひまわり」出店は幻に終わった。
 加地さんとはその頃からの付き合いで、今シティ、DCMなど営業するショッピングモール開店に当たっても▽ウエンナイ川ショートカットは河川法に抵触する▽大店立地法の救急車搬送(向いには禎心会病院があった)に支障が生じる―など反対する商店・住民との遣り取りの際にも加地さんが奮闘し、結局モールは営業を始めたものの、本業(理容院不動産業)を投げ出した活動には取材する側として敬服する言葉しかなかった。
 病魔に冒されていたのは知っていたが、こんなに早く亡くなるとは。ゆっくり一献傾けたい人であった。
 木馬館がその後、三上徳男さんら市OBと職員によって再生したこと書き添える。