時の話題 「秋桜の日」

 きのうはコスモス(秋桜)の日であった。炎暑の夏が終わり遅まきながら秋が忍び寄って来ている。暫く行っていない若葉公園のアジサイの花は未だ残っているだろうかと徒然思いながら釣瓶落しの秋に溜息をつく。
 秋といえば物思いに耽る事が多くなるのは凡庸な人間の常でもあり物事を悪い方に解釈する向きがある。「中国の日本産水産物の禁輸は未だ々々続きそう」とか「コロナは第9波に入っているが、全数でなく定点把握なので実際の感染者数は判らない」「だから感染しないよう褌を締め直さなければならない」などと言う割に危機感は希薄だ。
 これを順応性と言うには短絡だし、あまり深刻に考えるも今になってはそぐわない。少々感染者が増えようが「食べる方が先だわい」とばかりに経済活動を優先し、たじろごうともしない。
 花ぶりが見た目にも美しいクンシュランが岸田再改造内閣で入閣した政治家への贈り物として届けられ業者が忙しい日を送っているとの報道があった。晴れ姿に似合う花で、今の意気揚々とした心持ちに似合いの花だが、それとてそのうち枯れる。責務を全うするよう願っている。
 「秋桜」は勿論花なのだが、山口百恵さんの歌唱が鮮明に蘇る。年老いた母親を想う娘の心情が綴られた詩が人に感動に呼び起こす。物思いに耽る秋の季語にはピッタリで春咲く桜とは違う趣につい感傷的になってしまい秀逸な歌である。
 秋深まればサケも釣れるのだろう。寿司屋で居合わせた札幌から来た夫婦がサケ1匹釣
ったと話していた。