時の話題 「交流、復活の日を」
数日前、中国とロシアの駆逐艦など艦船10隻が宗谷海峡を通過したというベタ記事に触れ、今更ながらだが国境の町に住んでいること自覚させられる。
米ソ冷戦の頃にはしょっちゅうだった海峡通過も冷戦氷解後、具体事例が減り国民意識も安倍元総理の対ロシアの友好策、北方領土返還要求への期待感から日ソ両国間の緊張は融けかかり、とりわけ稚内は一衣帯水にあるサハリン州(旧樺太)との交流・交易による戦前あった定期航路の復活により友好ムードが構築されるも昨年2月のロシアによるウクライナ侵攻により交流は途絶え今に至っている。
その中でのサハリンとの間の宗谷海峡を軍艦が通過するというのは過去以上にきな臭い思いをしている。
道の高橋はるみ前知事が旧支庁再編に取り組もうとした中、旧支庁を「総合」が付いた振興局とただの「振興局」に色分けする過程で「宗谷支庁」が「宗谷総合振興局」になったのは対サハリン交流が道によって有益になると分析したからであるのは知る人ぞ知る事実である。
そういう観点からも今般のウクライナ侵攻は残念なことであり戦争が終わり以前に戻るよう願っている稚内市民が少なくないと推し測っている。
増田稚内信金理事長は侵攻前の小紙との正月号インタビューで「対サハリン交易・交流は稚内にとって生命線です」と語っていた。
高橋前知事もそうであったよう工藤市長、中田商工会議所会頭も同じ思いと展望があったであろう。
以前のよう相互交流する日を願っている。