時の話題 「稚高100周年」

 読者の方から「中央小と稚内中が一つになり稚内義務教育学校という名の学校になるのはおかしいのでは」との投書を戴いた。変な話だなと思い市教委の山川学校教育課長に問うと「中央小の隣に稚中の新校舎が建つのは令和8年をメドにしており、その後、学校名を地域の人達などの力を借り命名すると計画にあるので『稚内義務教育学校』という学校名になることはありません」と答えていた。
 投書をくれた方は理解して戴きましたか。
 ところで筆者は旧稚内小と旧北小が合併し開校した中央小の第1期卒業生で稚中で中学校生活を送った。宝来から恵比須の狭い範囲で過ごし、その後入学した稚内高校には稚中ばかりでなく南中、東中など優秀な生徒と勉学する中、ギャップを感じたものだった。
 北地区は当時、沿岸漁師の子弟が多く私の父も沖底漁船に乗っており、皆、生活するのに忙しく子どもの教育も何もあった状況ではなかった。他方、南中や東中の連中は家庭の躾や教育が行き届いた都会っ子のような気がし気後れしたものであった。
 それから50年。稚高が創立100周年を迎え11月4日に記念式と祝賀会が開催される。協賛会の会長は筆者と同期の藤田幸洋氏(藤建設会長)で卒業し50年経つことから前日の3日、同窓会を開くことになっている。
 イベントをするには費用がかかり同窓生からの寄付にも頼らなければならぬが、1人1口3000円。開校100周年で卒業し50年という節目を迎えることもあり1万円に届く寄付を考えている。
 時間は本当に速い。

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