赤れんが通信所B棟とC棟 稚内市の文化財に指定 富田まち研会長「活動が認められ感謝」と
恵北にある稚内赤れんが通信所(B棟・C棟)が稚内市の文化財に指定された。稚内では昭和45年の宗谷厳島神社神社以来、53年ぶりの文化財指定となり、通信所の保存活動などをする稚内市歴史・まち研究会(富田伸司会長)は市民と共に通信所の保存に努め、活用を推進していきたいとしている。
赤れんが通信所の建物は、国の登録有形文化財(建造物)登録基準のうち、原則として建設後50年が経過し▽国土の歴史的景観に寄与している▽再現することが容易でないものに該当し、稚内市指定有形文化財として十分な価値があるとして、B棟が25例目、C棟が26例目に指定された。
通信所は1941年(昭和16年)12月8日、日米開戦を告げる真珠湾攻撃の命令電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八(ひとふたまるはち)」を中継送信したとされる。
研究会は平成18年から保存に努めており、望楼がシンボルとなっているB棟は過去の大雪で屋根の半分が崩落したが、公益財団法人太陽財団(札幌)から1000万円の助成を受け、老朽化で崩れたガレキの撤去や壁の補強など行い、その後はクラウドファンディングや市民からの寄付、稚内市からの助成金なども活用し屋根の改修工事などを経て現在は概ね修復した。一番小さなC棟は平成18から19年にかけて市内の板金組合や建具組合のボランティアなどによる復元で今に至る。
今回の文化財指定に富田会長は「これまで17年間保存活動をやってきた事が認められ大変有り難く、感謝しております。これを励みに保存と共に活用にも取り組んでいき歴史的価値がある赤れんがを知ってもらえるよう頑張っていきたい」と話していた。