時の話題 「転換期のパチンコ」
地元パチンコ店がパチンコチェーン店「ひまわり」の稚内店営業を阻止し20年ほど経ったか。当時8店あった地元店は2カ所になり今月31日には潮見1で営業していた店舗が閉鎖される事になった。
地元店とひまわり側との攻防は激しく最終的には民事で法廷まで持ち込まれたが、ひまわり出店断念後、イーグルとマルハンが進出し地元店は相次いで閉鎖に追い込まれた。
〝児童遊園〟という昭和47年をもって使命を終えた筈の公園の100㍍以内に風俗店は営業できないという縛りのため涙を飲んだ、ひまわり側は断腸の思いだったであろう。禁じ手は使うものでないとの思いはした。
漁師マチはギャンブル好きの人が多く、パチンコは777と数字が揃うと大量の出玉があるフィーバー機登場によって店舗が活況を呈し、フィーバーした時の快感が忘れられず中毒化し軍資金欲しさに金融機関などから融資を受け家庭崩壊にまで至ったケースもあり社会問題化した。
「ひまわり事件」は業界の絶頂期に起きた負の歴史だったが、その後業界は換品率の低い〝1円パチンコ〟など導入し、以前のよう稼ぐ事はできないものの、健全な娯楽として模索し続けているというのが現状か。
新年度からは進出店2店と地元1店の3店になる。稚内だけでなく全国・全道的に遊技人口が減少する中、リーズナブルに楽しむレジャーの一つとして立位置を構築できるかが業界の課題であろう。
旧態依然の遣り方では遊技人口が減るだけである。「安心」を売り物にした戦略に脱皮すべきであろう。