時の話題 「町内会の存在意義」
大半の町内会では年明けに総会が開かれ、今年の事業計画や役員を決めるのだが、住民の町内会への帰属性が薄れているのか、役員の成り手がなく会長さんは頭を悩ましているようである。
一例を挙げると小社(プレス社)がある南三町内会では吉野照平さんから山崎雅史さんに会長が代わったのはいいが、山崎町内会長が総務部長を兼ね、副会長の花田芳久さんも事業部長を兼任することになった。本来、各役員は別の人がなるものだが、成り手がいないものだから兼務する事態を招来しているのではと推し量る。
ほかの町内会とて大差なく役員兼務はざらで町内会の存続自体が危ぶまれている。
この根本には高齢化もあるのだろう。以前町内会が仕切っていた葬儀も今は葬儀社が夫々自前の斎場を有し営んでいる。葬儀に係ることで町内会の存在意義を認識するという喪主と町内会役員との関係が希薄になっており町内会の存在意義が薄れているのは確かなようだ。
日本は〝村社会〟が土台となり市町村があり都道府県、国という縦社会で国家が運営されてきた。その土台が過疎化と住民の高齢化によって存在さえ危ぶまれているのが今の社会なのだろう。
向う三軒両隣りの地域コミュニティ(社会)が崩れようとしている現代を物語る現象として為政者は捉えなければなるまい。
携帯電話、インターネット、SNSによって地域連携でなく個々連携が急速に進む、いや席巻する中、自治体の存在意義まで問われる時代になった気がしてしょうがない。