時の話題 「大雪の日に思う」

 日曜日ときょうのギャップ、これが北国の冬の厳しさなのであろう。ちょっとばかり小説めくが、筆者の大叔母(祖父の妹)は生まれつき足悪く、当時の女の子といえば下駄を履いたので登下校の際悪ガキから「ギッタンバッコンが来たぞ」とからかわれ、あまつさえ今日のよう雪が降った日に馬の背のようになった歩道(と言っても昔は車道との区別なく)を歩くとき下駄の底に雪が付き、そうでなくても大変だった歩行は一層支障生じながらも行き来していた。
 忍従の子ども時代を過ごし結婚し恵比須の一角で商店を営んでいた大叔母は子ども時代の筆者を見ると「〇〇〇ちゃん元気だったかい。勉強やっているかい」と声を掛け励ましてくれた。
 希代の麻雀好きだった祖父は、その大叔母夫妻の家まで1㌔ほどの道程を歩き自分の弟と4人で2時間ほど過ごすのが晩年の日課だった。
 その4人の麻雀を見たことがあるが、いずれも70を超す高齢だったため進行が遅く「つまらん麻雀だ」と思ったことを覚えている。
 だから筆者の麻雀好きはDNAなのだが、この1年半ほどは卓を囲むことがなくなってしまった。主催者役の筆者にやる気が失せたからである。
 飛ぶも飛んだり横道どころか何処か別の国に行ったよう話は逸れてしまった。好き勝手に書く機会を与えてくれるプレス紙に感謝すると共に親戚・縁者を出しにしたこと謝意を申し上げる。
 雪が降り風が吹くのも一興と風流に生きたいものだが、現実は厳しい。一つひとつ片付けるしか術はない。

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