時の話題 「打ちにいき見る」

 プロ野球日本シリーズをTV観戦している時、解説者の元ヤクルト宮本慎也さんが打者の心得について「見て打ちにいくのでなく、打ちにいって見ることが大事です」と言った。けだし至言と、心に残った。
 見定めるという言葉があるが、球をよく見てストライクかボールかを判断し打っていくのがセオリーと、野球素人の筆者など思いがちになるも、プロ野球で2千本以上のヒットを打った宮本さんは「打ちに行き見定めることが大事」だと言う。
 要は同義の言葉と考えるが、言葉の意味合いには大いなる違いがあることが判る。
 ボールが投手の手元から離れ数秒間、いや1秒にも至らない瞬時に打者自ら判断しバットを振りにいく。プロでしか悟れない打撃論なのであろう。
 旧統一教会とのヅブヅブの関係を追及され「知らぬ存ぜぬ」と白を切るも最終的に認めざるを得ず首を切られた山際大臣だが、先ほどの打撃論に話を戻せば国会での追及に打ちにいって見る、すなわち疑念の追及に即妙に答えるのが大臣として国会議員として、はたまた人として実行すべきことだったであろう。
 彼は支援者に「俺はいずれ総理大臣になる」と大言していたそうだが、今回のよう、その場凌ぎの言動では到底、総理大臣になる器ではないということになろうか。
 彼のよう自らの実力を顧みず勘違いする人は筆者の周りにも少なからずいる。自らの持ち場・立場をわきまえ継続していくことが大切となる。
 打撃論で教えられた人世訓であった。

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