時の話題 「教師聖職者論」

 教師とは一体何者なのでしょうか。これまで教師は、聖職者として捉えられてきた。神の威光を背景に、迷える人々を教え導く役割を果たす人であった。
 その職務は神から与えられたもので、報酬に関係なく遣り甲斐のある崇高な使命を果たすこと自体を喜びと感じ、ひたすら献身的に職務を遂行する教師を我々は聖職者と呼び尊敬してきた。
 しかし、近年は教師も民間企業に勤めるサラリーマンと同じ所定の報酬を受け取り、対価に見合う仕事をする労働者であるとの考えや専門的知識や技術を持つ医師や弁護士等と同じ専門職であるとの考え方も出てきた。
 ここ最近の教師に関する報道では、複数回注意したが伝わらず、カッとなり中3男子生徒の顔を膝蹴りした20代男性教諭、友達をおんぶして転倒した小5男子児童が保健室で吐き、痛みや物が二重に見えるなどの症状を訴えるも「目をぶったのに何で吐くの?」と救急車を呼ばない20代養護教諭(児童は顔面骨折の手術を受け全治3カ月)、道内では元同僚の12歳年上の女性教諭を絞殺したニュースはセンセーショナルだった。
 文科省の資料に、教師が備えるべき資質・条件として3要素が掲げられている。▽教師として真剣に教育活動に携わる心づもりはあるか▽気持ちだけでなく、能力や技能を身に付けて実践するつもりはあるか▽教師としてある前に、人間として魅力を生涯に亘って高めようとする考えと姿勢があるか―と、これから教師を目指す人へ周知している。
 現職教師の皆さんは今一度考えてほしい。

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