時の話題 「喜と哀が交錯」

 原則、週6回、プレスを発行しているので休刊は日曜だけなのだが、先週のよう別に休みがあると助かる。と言えど6日発行し経営が成り立っている小社のような零細企業にとって一日でも休むのは経営面で辛いものの「働き過ぎ」とやゆされる日本人である。レギュラーでない週があってもいいのか。
 巷間ではコロナも五輪も佳境を迎え、一日感染者10万人を天井に減少しようかなという構えのコロナ菌に対し、日本人選手のメダル獲得など健闘にはついのめり込んでしまう。
 いつぞやの小欄で「のめり込むだろう」自分について言及したことあるが、スポーツ観戦好きの筆者にとってかなりの確率で想定される事態であり不思議でも何でもない。
 ただコロナという際物がなければ別な日がな送りもあるだろうから「得か損か」という質問には「損なのかな」と答えねばならないか。
 「死に至る病」など著したデンマークの思想家キルケゴールは「人生は、解かれるべき問題でなく、経験されるべき現実である」との名言を残している。その観点から今、我々が経験しているコロナ禍は人生の過程において経験している事であり、今後の人生で活きてくると前向きに捉えたいが、感染することで亡くなったり後遺症で苦しんだり、会社や店が潰れたりする現実を目にする時、この厳粛たる現実に呻吟せざるをなかろうというのが筆者なりに考える答えになるのかな―とは思っている。
 こむずかしい理屈をこねたが喜と哀が交錯するのが人生か。五輪とコロナでそう思う。

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