週末雑感

 小説家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが亡くなられた。百歳間近の白寿99歳での他界に各紙とも紙面を割き認めていたが、個人的には生前朝日新聞に月1回掲載していた「寂聴 残された日々」を楽しみに拝読していた。
 寂聴さんの元々の名前は晴美さん。東京女子大学(俗に東女)在学中に教師と見合い結婚し一女授かるも夫の学生と恋に落ち夫と娘を捨て駆け落ちするなど恋多き奔放な女性として文壇でも〝子宮作家〟とやゆされるも女流文学賞を受賞したのち、今東光和尚(作家)の薦めもあり岩手県平泉にある中尊寺で得度し、小説家として僧侶として生き京都の嵯峨野に建てた「寂庵」で法話する傍ら朝日新聞に70数回のコラムを書き連ねたのである。
 正直に申すと瀬戸内さんの小説は一度足りとも読んだことがない筆者が何やかや書くのは気が引けるが、朝日の随筆を読む限り「望みもしないのに長息きしてしまった」と自らの人生を振り返り悔い改めようとする心の深淵を見る思いがした。
 自らが欲するまま奔放に人生を送り、目を閉じる人は少ないであろう。筆者も結構、好き勝手な人生を歩んできたが、年でもあり現在の境遇を考えると自由は効かない。それだけに瀬戸内さんは尊敬に値する人である。
 今年5月13日の「残された日々」の表題は「思いがけず何という運命」。捨てた我が子の事を思慕し泣き崩れる瞬間もあったろうが数分経たぬうちに背筋を伸ばしていたのでなかろうかと推察する。人の運命なんて分かりゃしない。何かに操られているのではと思う時がある。

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