時の話題 「田舎の悲哀」

 人が居なくなり住んでいる人がお年寄りだらけになる。限界集落と言われる過疎の村の姿だが、私達が住んでいる稚内だって寂れたマチにならぬとはいえない。それでも私達はそれなりに毎日を送っており筆者のような年齢になると歌の詞ではないが「何もないマチが好きなのよ」と言い得るものの、若い人達には酷なのか。稚内を出て行ってしまい戻らない。
 過日、札幌のコンサルティングの人とZOOMを使った会議を開く中、何かの話で「札幌は優秀な人材がおりますが、当地(稚内の事)には少なく、優秀な人材は信金さんや市役所に行ってしまう」と、小社としての嘆きというより稚内全体の人材難について触れ「田舎町の悲哀ですよ」と述べた。
 相手は苦笑しているやに見えたが、今、稚内を覆っている閉塞感の一つ人材難を浮き彫りにした。
 東京や札幌のよう大企業があるわけでなく地元に残ったとしても優秀な人材は信金や農・漁協、市役所などに持っていかれ、我々民間企業はその他の人材の発掘に努めなければならない。
 小社は求人しても応募がない。記者の踏ん張りで凌いでいるものの、何時まで持つことやら。文才など要らない。やる気のある人材を求めているのだが敷居が高いのか、電話一つさえない。以前は募集すれば数人かの応募があったものだが。
 愚痴を言ってもしょうがない。人材不足だろうが枯渇していようが人がいなければ社業が成り立たない。焦るとばばを掴み利益を損なう事もある。田舎の悲哀になるわけだ。

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