巨星墜つ享年98歳 中田豊彦氏が逝去 商議所会頭、建協会長など歴任

 稚内商工会議所会頭、稚内建設協会長など要職に就き経済ばかりでなく稚内市勢の発展に尽くした中田豊彦氏(96)=札幌市中央区双子山=が今月24日に命終したことが中田組(中田伸也社長)から公表された。
 密葬の儀は札幌で近親者で終えており、稚内での本葬は6月4日午後1時からむとう市民斎場で営む予定。
 中田氏は大正13年11月28日、東利尻町(現利尻富士町)で生まれ昭和17年に札幌工業高校卒業後、旭川土現(現旭川建設管理部)に奉職したのちの23年、中田組に入社し、専務取締役を経て40年4月に代表取締役に就任。
 昭和40年~52年まで3期12年間、東利尻町議会議員を務め、この間副議長に就任した。
 昭和60年1月には稚内建設協会長、稚内市建友会長となり62年5月には稚内商工会議所の3代目会長に就任し建設業界ばかりでなく稚内経済の舵取り役を託され平成9年11月まで10年半に亘って重責を担った。
 この間、平成2年には建設大臣表彰、3年に黄綬褒章、9年には勲五等雙光旭日章に輝いた。
 中田氏の訃報を聞き工藤市長は「人柄の良さと謙虚な態度は今になっても忘れられない。市職員として40歳前後の時、第3セクターで全日空ホテル(現サフィールホテル稚内)が立ち上がった時、浜森辰雄氏(社長)、井須孝誠氏(専務)と共に中田氏が副社長にあり、その下で薫陶を受け業務に邁進したことを今の時のよう思い出しております。この町の発展は中田さんら3氏の御苦労によるもので巨星墜つの心境にあります」と哀悼の言葉を述べていた。
 商工会議所は身内の中田伸也会長に替わり達専務理事が「長い間、稚内の経済発展に尽力して戴き心から感謝すると共に遺家族の皆さんには深い哀悼の意を申し上げます」と述べ藤田幸洋建設協会長は「長く業界を引っ張っていただき心から感謝しております」と哀悼の誠を寄せた。
 長い間、故中田氏と共に建設業界を支え中田氏、故富田勉氏のあと第6代建設協会長を務めた石塚宗博石塚建設興業代表取締役会長は「中田家とは家族ぐるみの親交があり、私が建設協会長になってからも貴重なアドバイスをいただきました。終戦後、シベリア抑留という苦労をされただけに個人的にも尊敬する人物で、亡くなられたのは残念でなりません」と在りし日の姿を脳裏に浮かべながら冥福を祈っていた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です