時の話題 「春のお彼岸」

 彼岸荒れなのか。18日朝、起きると一帯銀世界になっていた。この数日、麗かな日が続いていたので気の早い当方はすっかり春本番の気分になり「来週にでもタイヤ交換しようか」と思案していたところであった。
 4月まで2週間ほどあり最北端の土地に住む者にとって「春遠からじ」とは思う反面、春来る待ち遠しさもあって当方のよう季節の進み具合以上に「春が来た」感を表に出してしまう住民もいる。
 高校、中学の卒業式があり去る人がいる他方、昨16日に高校入試合格者の発表があったよう来る人がいる。生活し社会活動を行う以上、至って当たり前の事なのだが夫々悲喜交々あり別れの寂しさと出会いの嬉しさが行き交う季節ではある。
 影を落すコロナ禍ではあるも別れと出会い、とりわけ惜別の感情は子供時代にあっては人を強くし、ただがむしゃらに生きる青年期は人生の過渡期にすぎずも年を取ってからの別れは辛いものがある。
 筆者も小・中学校の頃は渡辺君(父親が自衛隊)、社本君(同国鉄)らとの別れがあり、恐らくだが惜別の涙を流したであろう。結婚するまでの青年時代は別れ・出会いのへったくれもなく、50を過ぎて他人の心に少しは寄り添えるようになり人間として成長したかに感じるも、60を過ぎ70近くになると頑固になっている己が姿を見る。
 このような事を平気の平佐で書くことに羞恥心をかなぐり捨てた己も見る。
 お彼岸もコロナも袖に置き自らも家も仕事先でも何事もなく無事でありたいと願うも人生それほど甘いものでないようである。

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